土地・建築物
物語に宿る魂
事実、記録、人物、あるいはイメージに基づいていたとしても、ある場所の物語は集団の記憶であると同時に、個人の思い出でもあります。感情は、そこに存在する、または存在していた石の向こう側を見つめます。テタンジェの物語は、こうした記憶に対する敬意、そしてこれらの感情が意味するものの上に築かれているのです。
事実、記録、人物、あるいはイメージに基づいていたとしても、ある場所の物語は集団の記憶であると同時に、個人の思い出でもあります。感情は、そこに存在する、または存在していた石の向こう側を見つめます。テタンジェの物語は、こうした記憶に対する敬意、そしてこれらの感情が意味するものの上に築かれているのです。
聖ニケーズの聖遺物を祀るため、ベネディクト会の修道士が、聖ニケーズの埋葬された土地に修道院を建てたのは、13世紀の事でした。
フランス革命の際、国の不動産として売却され、19世紀に完全に解体されるまで、石の採掘場として利用されていました。ガロ=ロマン時代の旧石切場を利用したカーブと地下は、信じられないほど完璧な状態で残されていました。現在、有名なキュヴェ、コント・ド・シャンパーニュを含む、シャンパーニュ・テタンジェの製造するシャンパーニュの一部がこの地下室で熟成されています。
啓蒙時代、シャンパーニュ地方の中心部でマルケットリー城の建設が始まります。時代の変遷とともに、ここには数多くの著名人が訪れ、所有者も変わりました。
1915年、ジョフル将軍の若い将校であったピエール・シャルル・テタンジェは、この城に夢中になります。建設から200年後にあたる1932年、彼はこの城を買い取ります。のちのシャンパーニュ・メゾンの基盤となる場所がこうして誕生したのです。
中世は3世紀以上に渡り、ティボー4世を筆頭とする「コント・ド・シャンパーニュ」王国の力により、シャンパーニュ地方はかつてないほど強い勢力を手に入れます。
その影響力は、政治、経済、芸術、宗教と広範囲に及びました。シャンパーニュ伯爵は、フランス国王の戴冠式の際、ランスの中心部にある邸宅に宿泊し、当時の貴族や芸術家を集めてもてなしていたようです。現在、シャンパーニュ伯爵旧邸宅はシャンパーニュ・テタンジェが所有していますが、中世から受け継がれてきた使命を今も忠実に守り、レセプションや展覧会、コンサートを開催しています。こうした取り組みのすべてがキュヴェ「コント・ド・シャンパーニュ」を構成する基盤であり、優れたワインの1本1本に再現されています。
世代を経るごとにテタンジェの自社ぶどう畑は拡大し、現在では288ヘクタールの広さを誇り、シャンパーニュで3番目に大きなドメーヌへと成長しました。
シャンパーニュ地方でも最高級の37のクリュで、シャルドネ37%、ピノ・ノワール48%、ピノ・ムニエ15%の比率で栽培しています。ぶどう園は、テタンジェのスタイルを完璧に反映していると言って良いでしょう。シャンパーニュの原料となるぶどうの45%を自社の農園でまかなっていますが、これはHaute Valeur Environnementale(環境価値重視農業)の認証を取得した減農薬栽培への取り組みの中で、ブレンドの品質を守る重要な役割を果たしています。
この修道院は、フランスで最も美しいゴシック様式の教会の1つとされ、シャンパーニュ伯爵家の所有物でした(1717年、ピョートル1世が見学に訪れている)。フランス革命の際、国の不動産として売却され、19世紀に完全に解体されるまで、石の採掘場として利用されていました。現在残っているのは、ガロ=ロマン時代に利用されていた旧石切場を利用して作られたトンネルのような地下聖堂とカーブだけです。この石切場は、時には初期キリスト教信者の避難場として利用され、その後、当時すでに修道士たちが製造していたシャンパーニュの保管場所として利用されていました。
第一世界大戦中は、避難した兵士や住民が記念に走り書きや落書き、自分のイニシャルなどを白亜の壁に刻みました。こうした歴史の痕跡は今も残っています。1920年、シャンパーニュ・ビネがサン=ニケーズの修道院跡を再建しますが、後にテタンジェが買い取ります。現在では、年間7万人の見学客がサン=ニケーズを訪れ、メゾン・テタンジェ従業員のガイドにより内部を探訪します。テタンジェの旧石切場は、ユネスコの世界遺産「シャンパーニュの丘陵、メゾンとカーブ」に属しています。この地下18メートルのカーブでは、当メゾンを代表するキュヴェ、コント・ド・シャンパーニュが完成までの10年間、じっくりと熟成されています。
彼らはまた、近隣のぶどう畑(ピノ・ノワールとシャルドネのぶどうが植えられた丘陵地帯)をベネディクト派の修道士から購入しました。1760年には、18世紀を代表する空想小説の巨匠ジャック・カゾットが産業革命まで城の所有者となります。ぶどう収穫期、あるいは贅を尽くしたガーデンパーティを開き、ヴォルテールやシェニエなど、当時の有名作家を城に招待したと言われています。
第一世界大戦中、ドメーヌのすぐ近くが戦闘地になります。 1915年9月、エドゥアール・ド・カステルノー 将軍の元に、未来のフランス元帥 ジョゼフ・ジョフル将軍が合流。城に司令部を設置し、戦いを勝利へと導きます。情報部隊の一員として陣営に加わった若き将校ピエール・シャルル・テタンジェは、一目でこの城に夢中になってしまいます。1932年、彼は義兄の司教ポールと共同で城を購入。1934年、シャンパーニュ地方で最も古いシャンパンメーカーの1つ、メゾン・フォレスト=フォルノーを買収すると同時に、この城はシャンパーニュ・メゾンのセンターとなります。シャンパーニュメーカーであるメゾン・フォレスト=フォルノーの設立は、マルケットリー城の建築と同じ1734年のことです。テタンジェのシャンパーニュ作りの歴史は、ここから始まります。
ヨーロッパにおける貿易の中心地としてシャンパーニュ大市を開催し、領地の経済発展を促進させただけでなく、宗教界や騎士団、十字軍の支援を受けて、シャンパーニュ地方の政治的権力も拡大させました。また、芸術的表現の発展に貢献したことでも知られており、シャンパーニュ伯爵の1人、ティボー4世は、東洋の征服者であると同時に、詩人としても有名です。ファサードのくぼみに音楽家の彫像を4体収めた「メゾン・デ・ミュージシアン」を含め、歴史的にも建築学的にも特別な意味を持つシャンパーニュ伯爵の邸宅は非常にユニークな作りで、中世ヨーロッパの最も美しい世俗主義芸術の1つと考えられています。第一次世界大戦時、この歴史的意義のある建造物は爆撃を受け、ほぼ全壊に近い状態でした。
その後、シャンパーニュ・テタンジェ社が買い取り、文化芸術省の指示を受けながら改修工事を行いました。メゾン・デ・ミュージシアンの修復工事も並行して行われました。現在、シャンパーニュ伯爵旧邸宅は歴史的建造物に指定され、豪華で高級感のあるもてなしの場として役割を果たしています。ランスの中心部で、大聖堂のすぐそばという絶好のロケーションで、食事会、カクテルパーティー、セミナー、展覧会、プライベートコンサートなどを開催することができます。
1950年代に入ると、フランソワとジャン・テタンジェの指導の下、メゾンは自社ぶどう畑の拡張に力を注ぎ、1955年には110ヘクタールのぶどう畑を購入します。テタンジェ・シャンパーニュのスタイルを守るため、ここでは主にシャルドネを栽培しました。1960年代、クロード・テタンジェは、5年間かけて、約140ヘクタールの土地にさらにぶどうの木を植えます。現在では、テタンジェのドメーヌは、マルヌ県内のコート・デ・ブランからヴァレ・デ・マルヌ、モンターニュ・ド・ランスまでを網羅し、288ヘクタールの広さを誇ります。また、オーブ県にも80ヘクタール以上の畑を所有しています。ぶどう畑の木を直線で並べると、2,880kmもの長さになります。
シャルドネ37%、ピノ・ノワール48%、ピノ・ムニエ15%が、シャンパーニュ地方でも最高級の37のクリュに分かれて栽培されています。
メゾン・テタンジェでは、エペルネ南部のコート・デ・ブランの中心部の5ヵ所の領域(クラマン、アヴィズ、シュイリー、オジェ、メニル=シュール=オジェ)にも自社畑を所有し、グラン・クリュの原料となる良質なシャルドネ種を栽培しています。シャルドネは熟成することで味わいが増す品種で、繊細で洗練されたワインを生み出し、その味わいは“軽やか”という表現がピッタリです。シャルドネは、当メゾンで作るキュヴェにも使用されています。
ピノ・ノワールを栽培するテタンジェ自社畑は、その多くがモンターニュ・ド・ランス(アンボネー、マイイ=シャンパーニュ、リリー・ラ・モンターニュ)およびコート・デ・バールに位置しています。ピノ・ノワールをブレンドすることで、シャンパーニュにしっかりとした構造と深みが生まれます。コクのある、強く、香り高いワインに仕上がります。
寒さに強く、他の2品種よりも霜に対する耐性があるピノ・ムニエは、粘土質または砂質の土壌を特に好みます。テタンジェのピノ・ムニエは、主にヴァレ・ド・ラ・マルヌとマシフ・ド・サン=ティエリーで栽培されています。ワインになめらかでフルーティーな風味を加え、ブレンドをまろやかにする品種です。
テタンジェのドメーヌは、シャンパーニュの原料となるぶどうの45%を栽培しています。長期的な信頼関係を築き、ビジョンを共有するパートナーから原料のぶどう、あるいは厳選したワインを購入することで、自社栽培以外の原料を賄っています。これらのぶどう園は、メゾン・テタンジェと同じ厳しい品質レベルとサステナブルな発展を守り、シャンパーニュ職人としての強い誇りを持っています。