経営陣
大志のブランド
一族のシャンパンメーカーを買い戻したピエール・エマニュエル・テタンジェは、ブランドの目標を高く掲げ、自分と働きたいという意欲のある若者を採用し、スタッフを固めました。当初は少しの食い違いもありましたが、この若いグループは真のプロフェッショナルの集まりでした。それぞれが才能と役割を持ってお互いを補い合い、ブランドの基盤となるダイナミクスの下で、協力して事業を進めて行ったのです。
一族のシャンパンメーカーを買い戻したピエール・エマニュエル・テタンジェは、ブランドの目標を高く掲げ、自分と働きたいという意欲のある若者を採用し、スタッフを固めました。当初は少しの食い違いもありましたが、この若いグループは真のプロフェッショナルの集まりでした。それぞれが才能と役割を持ってお互いを補い合い、ブランドの基盤となるダイナミクスの下で、協力して事業を進めて行ったのです。
多彩な才能
「家族の名前をボトルにつけるということは、どんな瞬間においても、重大な責任と義務を伴います。この名前は、先代から受け継いできたスキルと知識を表すと同時に未来への約束でもあるのです」と、語るのはピエール=エマニュエル・テタンジェ。彼は40年以上に渡り、この信念を形にしています。
2007年1月、ピエール=エマニュエル・テタンジェによるメゾン・テタンジェの買い戻し後、ダミアン・ル・シュウールは仕入れ責任者として当メゾンに入社。1年後、テタンジェの醸造と製造部門の責任者の地位に就きます。
2007年、新経営者として新たな経営陣の構成を望んだ父親の要望により、彼もチームに参加します。2011年以降、クロヴィス・テタンジェは、シャンパーニュ・テタンジェの輸出部門の発展に努めてきました。
メゾン・テタンジェのもう1人のキーパーソンである人物で、ヨーロッパでの販売部門を担当しています。2003年、取締役補佐としてTaittingerに入社。
父親がメゾン・テタンジェを買い戻した際、メゾンが持つ家族精神の維持に貢献するため、父親をそばで支えようと決意し、2007年に入社したヴィタリー・テタンジェ。
1981年、ヴァンサン・コラールは、父親フランソワ・コラールの要望によりテタンジェのぶどう畑で働き始めます。彼にとっては、子供の頃から父に連れられ慣れ親しみ、全てを学んだドメーヌでした。ヴィンヤード責任者の息子、孫、ひ孫として、代々家族が努めたヴィンヤード責任者の座を1986年に彼自身が努める事になります。
2015年4月、カーブ責任者ロイック・デュポンのサポート役となるカーブ責任者補佐としてメゾン・テタンジェに入社したアレクサンドル・ポナヴォイ。2018年からは、彼がカーブ責任者を務めます。
2007年にテタンジェに入社。人事部および法律・行政業務部の部長を務めています。あらゆる面で、家族企業としての社風を守る上で重要な役割を果たしています。
その後、マーケティング開発部のスタッフ、続いてアーティスティック・ディレクターに任命されます。現在、彼女はマーケティングおよびコミュニケーション・ディレクターを努めます。11年前から、当ブランドの顔およびアンバサダーとして、フランス国内および国際的な舞台で、当メゾンのイメージ発信に直接関わっています。
1979年ランス生まれ。2001年、リヨンのEcole de dessin Emile Cohlにてディプロムを取得。当校でイラストとグラフィックの技術を学ぶ。卒業後すぐ、Cherche-Midi出版社が発行したアルフレッド・クーム(20世紀初期の画家)に関する書籍を共同制作している。
こだわりを持つ審美家であり、享楽主義者であり、ヒューマニストである彼は、祖父が創業したシャンパーニュ・メゾンを2006年にスターウッド・キャピタル・グループから買い戻すことで、自らの「反骨心」を示しました。シャンパーニュ地方と歴史を愛し、その魅力を世界に広める熱心なアンバサダー(大使)でもあります。栄誉や権力に動かされることを好まず、「テタンジェが育てているのはぶどうであって、エゴを育てるのではない」が口癖です。昔から山を愛し、シャモニーが憩いの場という彼は、疲れ知らずの旅行者でもあります。あらゆることに好奇心旺盛で、自分の周囲に対しても関心を持つピエール=エマニュエル。特に母国のフランスにおいて、強い愛国心を持つビジネスマンとして、さまざまな事象を追求し、周囲の生活を変えようと取り組みを続けています。
1953年生まれ。ピエール=エマニュエル・テタンジェは、ESC Reims(ランス高等商業大学校)のCentre de Formation aux Affaires(CFA)、およびパリのCPA (Centre de Perfectionnement aux Affaires)にて経営学のディプロムを取得。2006年、シャンパーニュ・テタンジェ社の経営者に就任、カリフォルニアにあるドメーヌ・カーネロスの会長。Association Viticole Champenoise (AVC) およびUNESCOの世界遺産リスト登録物件のひとつ Coteaux, Maisons et Caves de Champagne(シャンパーニュの丘陵、メゾンとカーヴ)の会長も務める。
売り上げの約75%は、輸出です。ブランドのアンバサダーとして、主に「Instant Taittinger」(テタンジェの瞬間)を促進するため、インドや中国など新しい市場を次々と開発していす。国際的な顧客の好みや文化に関して豊富な知識を持ち、当メゾンの品評委員会の際、シャンパーニュ開発のための確実な強みとなっています。クロヴィス・テタンジェは、当ブランドを芸術とスペクタクル、スポーツの世界と組み合わせる新しいパートナーシップを積極的に進めています。2014年以降、テタンジェが公式シャンパーニュを努めるFIFAワールドカップと当メゾンが出会ったのは彼の功績によるものです。
1978年生まれ。ピエール=エマニュエル=テタンジェの長男であり、家族の中心として企業を推進している。元々は、企業に入社する意志はなく、EDHECのディプロムとソルボンヌ大学で歴史の修士号を取得し、長年、銀行、経営コンサルタント、不動産、ホテル業などに携わっている。
2009年後半、取締役部長補佐、続いて2015年7月1日よりメゾン・テタンジェの取締役部長に任命されました。彼はまた、ドメーヌ・カーネロス(カリフォルニア)の取締役会の一員でもあります。シャンパーニュ地方を完璧に知り尽くす彼は、テタンジェにとって必要不可欠な存在でもあります。
1975年4月、ヌイイ=シュル=セーヌ で生まれたダミアン・ル・シュウールはパリ郊外で育つ。農業工学を学ぶため、故郷を離れモンペリエに移り、2000年、Montpellier SupAgroのディプロムを取得。2001年、ワイン学のディプロムを修得し、CIVC(シャンパーニュ地方ワイン生産同業委員会)に参加。近頃、パリのIAE (パリ第1大学―パンテオン・ソルボンヌ大学)にて経営学修士号を取得。
異例の速さで販売部長補佐、続いてフランス担当販売部長へと昇進します。彼は85カ所の商業地域から構成されるフランスの販売ネットワークと一部の輸出市場(ベルギー、ルクセンブルク、スイス、イタリア、ポルトガル、マグレブ、インド洋諸国、フランス海外県・海外領土)を担当しています。
1976年7月ランス生まれ。生物学の修士号およびパリの IFAG のディプロムを取得。2001年、Leaseplan に監査として入社、続いて2003年、テタンジェに入社します。
非常に早い段階で彼の指示に従って、当メゾン ぶどう畑の減農薬栽培へのアプローチが開始しました。彼は伝統と自然を尊重し、最大限の注意を払いながらテタンジェの自社ぶどう畑288ヘクタールを管理しています。
1957年「コート・デ・ノワール」の中心部、ブジィー生まれ。生物学を学び、ワイン学のディプロムを取得。ヨットと庭仕事に情熱をかける彼は、自然に対してどう答えればいいかを理解しており、常に多くの敬意をもって自然と接している。ぶどう園長として家族3世代の歴史を抱え、子供の頃に夢見た職業を手に入れた。
従業員一人ひとりに快適な職場環境を提供し、成功の一端を担ってもらえるよう、サポートを提供します。弁護士としての前職の経験を活かし、非常に専門性の高い規則の導入を支援しています。
1975年生まれ。法律を学び、数年間に渡ってパリ弁護士会の弁護士として活躍。2007年、企業での経験はないものの、人間的な資質、仕事に対する姿勢、興味深い経歴が認められ、ピエール=エマニュエル・テタンジェがスカウトしました。
カーブ責任者、
1979年ディジョン地方生まれ。Jules Guyot Institute(ブルゴーニュ大学)とディジョンのENITA にて農業学修士号を取得した後、ランスに移り住みます。ランスでワイン学―シャンパンの品質管理、マーケティング、法律、管理とマネージメントの修士号を取得。フランス国家認定醸造資格を手に、ランスにあるシャンパーニュ・メゾンに入社し、会社の命でワイン醸造のためにカルフォルニアに向かいます。2007年から2015年、Station Œnotechnique de Champagne 社(SOEC) にてワイン学アドバイザーとして勤務。スパークリングワインの醸造や販売に関して、今までにシャンパーニュ地方にある150以上のドメーヌやネゴシアン、コーペラテゥール(さらにフランスの他地方や海外まで)に対して、アドバイスを行っています。